戦国時代の弘治二年(1556)開山といわれる天台宗の寺で、かつて本堂裏の池の周囲に萩が繁っていたので、「萩寺」とも呼ばれました。
墓地への道の左側に石造供養塔があります。その内7基は目黒川の谷山橋付近にあったものを、河川改修で川幅が広げられることになり、そのとき移されたものです。品川区指定文化財になっています。
手前から供養塔を順番に紹介します。
つい最近も供養塔が建てられていたことがわかります。
釈迦立像が彫られています。
青面金剛 板碑型
庚申塔 寛文9年(1669)
文字に三猿像だけです。
足元には三猿ではなく二猿
青面金剛、足元に三猿
庚申塔 延宝8年(1680)
文字に三猿の板碑型
庚申塔 宝永元年(1673)
青面金剛に三猿の板駒型なのですが、上部が崩れて痛々しい。
馬頭観世音道標 大正10年(1921)
「右桐ヶ谷 左目黒」と刻まれているのでかつて道標として立てられていたものです。
さらにここには目を引くものがあります。
目黒行人坂浄覚寺にあったものが、同寺が廃寺になってこの寺が引き取った。小紫は権八を葬った東昌寺に行き着くことが出来ず浄覚寺の前で自害したという縁。今は二人の名を彫ってある。目黒不動仁王門の前に比翼塚があり、こちらも二人の名を刻しています。
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